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【坂めぐり】本郷編

こんにちは、コワーキングスペース7Fスタッフのカズヤです。今月の坂めぐりは文京区、本郷に行ってきました。

 

本郷は神田川の北側のエリアで、水道橋駅の近くには東京ドームやLaQuaなどの商業施設があり、御茶ノ水駅周辺には東京医科歯科大学や神田明神もあって賑わっています。今回の坂めぐりはたくさんの人で賑わう大通り沿いだけでなく、大通りから中に入った場所も歩いてきたので普段だったら出会えない坂にも出会いました。後楽園駅からスタートして東方向に進み最終的には秋葉原駅まで歩いていくのが今回のコースです。

 

 

後楽園駅で電車から降りて外に出ると早速一つ目の坂が出てきます。

富坂(とみさか)

この坂の名前は富坂(とみさか)です。春日通りの一部となっているため幅が広く交通量の多い坂で、坂下から見て左側には中央大学のキャンパスがあります。昔このあたりに鳶が多く飛んでいて、鳶坂(とびさか)と呼ばれていた坂名が転じて富坂と呼ばれるようになったというのがこの坂名の由来だそうです。鎌倉のような海沿いの街では鳶に食べ物を取られる話を聞きますが、今は東京ドームやLaQuaなどがあって賑わっているこのエリアも昔は鳶が飛んでいたんだなと考えると街の変化を感じますね。

 

 

白山通りを挟んで春日通りを東方向に向かっていくと右手に細い道が現れます。

旧東富坂(きゅうひがしとみさか)

この坂は旧東富坂(きゅうひがしとみさか)です。旧東富坂の特徴は地上を走る丸ノ内線と並行して坂が延びているところです!丸ノ内線を地上で見ることのできる場所は他にも御茶ノ水駅周辺や四ツ谷駅周辺がありますが、こうして坂と地上を走る丸ノ内線の車両とを一緒に写真に収められる場所はここぐらいではないでしょうか。さらに名前に関してですが、東京都内に現存する坂の名で旧東富坂のように名前に「旧」という漢字が使われている坂も珍しいです。こういった理由で僕としては旧東富坂はとても価値の高い坂だなと考えています。大通りではなくそこから一本中に入った場所にあるという点も良いところです。

 

 

旧東富坂を過ぎて南方向に進んでいくと3つ目の坂が現れます。

新坂(しんざか)

階段状になっているこの坂の名は新坂(しんざか)です。標識にも書いてあるように「新坂」という名前が付いた坂は文京区内だけで6カ所あるそうです。新坂の他にも富士見坂や幽霊坂、胸突坂はどれも東京都内に多い坂名です。富士見坂は昔、坂上から富士山が見えたので名付けられた坂で、そのほとんどが現在ではビルやマンションで富士山が見えなくなってしまったものが多いです。幽霊坂は坂に沿って樹木が生い茂っていて幽霊が出そうな雰囲気なので付けられた場合が多く、胸突坂は坂を上るときに胸をつくような急な傾斜であることから名づけられたそうです。ちなみにこの坂は別名が外記坂(げきざか)というらしいです。

 

 

新坂を過ぎると東京ドームが見える壱岐坂下交差点に着きます。ここから東方向に延びる道が壱岐坂(いきざか)です。壱岐坂は途中で左方向に曲がっていて道幅が狭くなります。

壱岐坂(いきざか)

壱岐坂は傾斜が緩やかな幅の広い坂です。壱岐坂下交差点から東方向に延びており、東洋学園大学の校舎に突き当たると左側に折れて進みます。

 

 

壱岐坂が左手に折れる場所から南側に広がるエリアがこのあたりで一番標高が高いエリアのようです。少し坂を上って桜蔭高校の間の道を通って突き当りまで行ったところで右側を見ると開けた景色が目に入ります。

忠弥坂(ちゅうやざか)

このあたりが高台ということが分かりますね。この場所から水道橋駅へと下がっていく道が坂になっていて、この坂は忠弥坂(ちゅうやざか)と呼ばれています。夕方に坂めぐりをしていたので下校途中の学生がたくさんいて盗撮をしているのではと怪しまれないかビクビクしていました。ちなみに忠弥坂の坂下には宝生能楽堂があります。

 

 

忠弥坂を下りると水道橋交差点に当たります。ここから東方向に外堀通りをひたすら歩けば今回の坂めぐりのゴールである秋葉原駅に着くのですが、いろいろと坂を探しながら歩いて行ったのでクネクネとコースが進んでいます。

建部坂(たけべざか)

この坂の名前は建部坂(たけべざか)です。別名を初音坂(はつねざか)とも言い、その由来は毎年この一帯でうぐいすが鳴きはじめるのが他の場所と比べて早かったからだそうです。今回の坂めぐりの最初に紹介した富坂も鳶がその名の由来でしたが、ここでも坂の名がうぐいすを由来としていて面白いですね。

建部坂を下ってジグザグに東方向へ進んでいくと次の坂が見えてきます。

 

 

油坂(あぶらざか)

この坂の名前もユニークですね。最初に油坂(あぶらざか)と聞いた時、その名の由来はきっと雨が降った日は坂の傾斜で道がつるつると滑るからだろうと思っていたのですが実はそうではないみたいです。この看板では名の起こりは不明であると書かれていますが、おそらくその名の由来は油坂の別名である揚場坂(あげばざか)が変化したものではないかと思われます。揚場坂とは神田川沿いのこの坂道の近くに船から荷物を揚げる場所があったことに由来するそうです。

油坂を通って外堀通りに合流したら、そのまま東方向に進んでいきます。御茶ノ水駅を通り過ぎて聖橋をくぐった先に次の坂が現れます。

 

 

相生坂(あいおいざか)

相生坂(あいおいざか)に到着しました。相生坂の北側には湯島聖堂があり、良い雰囲気の坂でした。傾斜はそこまで急ではありませんが、距離が長い緩やかな傾斜の坂です。坂の名の由来は神田川を挟んで向こう岸にある淡路坂と並行しているところから相生坂と呼ばれるようになったそうで、良い名前の由来だと思いました。

相生坂から左手に曲がると今回の坂めぐり最後の坂に辿り着きます。

 

 

昌平坂(しょうへいざか)

昌平坂(しょうへいざか)に到着しました。看板によると、この湯島聖堂を中心としたエリアは江戸時代に儒学の本山とされていた「昌平坂学問所」の敷地だったらしく、この学問所周辺の坂を昌平坂と呼んだそうです。

東京には統合や合併により昔の名前が消えてしまった町や通りも多いですが、この昌平坂のように坂の名として歴史が残されているのは良いことですね。京都やパリのような都市では今でも小さな通り一つ一つに名前が付いていますが、東京では大通りやいくつかの通りを除いて地図上に名前が残っていません。そこで登場するのが坂で、坂は江戸時代やそれ以前の歴史を坂の名前として今でも保っているので東京の歴史を知る上でその存在価値は大きいなと思いました。看板を見ると分かりますが、坂の看板を設置しているのは文京区の教育委員会であることも注目すべき点です。

 

こんな感じで昌平坂を過ぎて東に進むと秋葉原の電気街に到着です。今回の坂めぐりはここまでとなります。本郷エリアにはユニークな名前の坂が多いのが印象的でした。次回の坂めぐりは城南地区に行ってみたいなと考え中です。最後に今回の坂めぐりで歩いたマップを載せるので坂めぐりをする人は参考にしてみて下さい。